第2回仏教講座を行いました
2017.10.26更新
10月23日(月)第2回仏教講座を行いました。
光乗寺住職、渡邊幸司様をご講師に招き、ご講話をいただきました。
皆さんとのご縁があり、お話することになりました。私の長女、次女とも進徳高校の卒業生です。今日はお父さんの立場、保護者の立場、僧侶の立場でお話したいと思います。皆さんはこの学園で3年間学びができることの幸せを感じていますか?きっと今は分からないでしょう。けれども大人になり、後から感じてくると思います。ここには仏様がおられます。暖かい眼差しの中で3年間過ごしていけるのです。自分も宗門校の崇徳高校、龍谷大学を卒業しました。学生の時は勉強が嫌いでしたが、先生方のご指導の結果、こういう所に立っています。先生方の思いを改めて味わうと、精一杯努めなければと思います。親鸞聖人は1173年に誕生され、1267年にお浄土に帰られました。90年の生涯、とても偉大なお坊様だったのですが、ご自分の事は「愚禿釈親鸞」と名乗られていました。愚禿とはおろかという事です。皆さん一人一人を分かっていてくれているのは誰でしょうか?自分のとこは自分が一番よく分かっていると言う人もいるが、実は自分が一番自分の事が見えていません。誰も自分の事を理解していないという事は、孤独や不安を感じます。皆さんは自分の生まれてきたときのことを覚えていますか?自分自身の事を認識るのは、3・4歳になった頃からです。生まれた実感はなく、気がついたら始まっていた人生です。人は生まれたら死ぬと捉えられていますが、生まれを知ることができないように、終わりも自分の思い通りには行きません。自分の死は自分では見ることができず、周りが見ることです。私の人生そのものには、生も死もない。人間の一生には漠然とした不安が横たわっているのですが、それはこうした理由からだと思います。仏様の教えを知らずに生きたら不安だと思います。2500年前お釈迦様の弟子に周利槃特という方がおられました。彼は兄が最初にお釈迦様の弟子になり、次に弟の周利槃特が弟子になったのですが、兄に比べとても出来が悪く、物覚えの悪い弟子でした。自分の名前も覚えることができず、一向に修行も進みませんでした。何年たっても悟りが開けず、もうやめようとしていた彼にお釈迦様は箒を与え、声をかけられました。「『塵を払い、垢を除こう』と言いながら掃除をしなさい」1年経っても、2年、3年経っても悟りは開けませんが、それでも周利槃特はやめようとはしませんでした。皆さんも何年やってもできないことは諦めてしまいませんか?彼はお釈迦様が「大丈夫、この道を進んでいけばいいんだよ。」と言ってくれたから安心して進んで行けたのです。5年後も10年後も諦めず、最後には悟りは開けました。どこまでも寄り添ってくれる存在である仏様。皆さんにも生まれには母が寄り添ってくれたでしょう。終わりには母はいません。全人生に寄り添ってくれるのは阿弥陀様です。だから不安や孤独はありません。阿弥陀様は目には見えませんが、「南無阿弥陀仏」という念仏と共にあります。念仏を唱えることで、いつも一緒である安心が恵まれるのです。